『銀河』と「ゼロ年代」〜志村正彦追悼と「ゼロ年代」葬送のために〜(後編) *1/5 一部書き直し

沈黙した「ゼロ年代

ここまで、80年代〜90年代の、主に日本のロックシーンは〈「ジャンル」の時代〉であり〈「ゴマカシ」の時代」〉である、ということを書いてきた。では、そういった二つのディケイドを跳躍し、次のディケイドへブリッジする「機能」として、「ゼロ年代」はいかなる実績を残したのだろうか?
これが驚くことに〈何も残していない〉のである。いや、〈残せなかった〉のだ。
それもそのはずだ。想像しうる(=発明出来そうな)音楽性は、この時点で殆ど既存の「ジャンル」に回収されてしまっているし、そういった「ジャンル」の外にある「個性/物語」としての「ゴマカシ」を追求することも、ナンバガによって一つのクリシェ(=ベタ)と化してしまっている。
ということは、当然この10年間にデビューした若きバンド達には「ジャンル」でも「ゴマカシ」でもない〈まったく新しい表現方法〉が求められていたわけである。だが、そんなものは、見つけようと思って簡単に見つけられるものじゃない。
結果、ここにきて〈日本のロックシーン〉は、完全に「沈黙」することを選ぶ(ばされる)こととなった。

とはいえ、「ゼロ年代」において全く何もアクションが起きなかったわけではない。
取り急ぎの「ムーヴメント」として、そこではいくつかの現象が起きていたのである。



延命手段としての「フィクション」と「サキノバシ」

ゼロ年代」の特徴的なムーヴメントとして「リバイバル・ブーム」と「変態ブーム」がある。
後者に関しては、「フジファブリック」を語る上で欠かせないタームでもあるため、また後で説明するとして、この節では〈「リバイバル・ブーム」という「フィクション」〉、あるいは〈「リバイバル・ブーム」という「サキノバシ」〉について言及していきたい。
リバイバル・ブーム」とは更に細かく「パンク・リバイバル」「ガレージ・リバイバル」「ニューウェイヴ・リバイバル」などと呼称される「ゼロ年代」のアーティスト達が、世界規模で巻き起こしたムーヴメントである。その内容としては、かつての「パンク・ロック」(それもSEX PISTOLSTHE CLASHといった初期UKパンク)や「ガレージ・ロック」(ビートルズTHE WHOなどの典型的な「ロックンロール」)のリバイバル――つまり「復権」を示すものであり、好意的なメディアからは「原点回帰的」なムーヴメントとして歓迎された。
The LibertinesArctic monkeysThe Strokesなどがその代表選手であり、日本でもザ50回転ズthe telephonesThe Mirrazなどが活躍している。あるいは、かつてマスコミを賑わした「青春パンク・ブーム」とやらも、ブルーハーツリバイバルとして「リバイバル・ブーム」に回収されうるだろう。
確かに、これらのバンドはカッコイイのだ。かつての「ロックンロール」や「パンク・ロック」にあったであろう「初期衝動」を、まさに「復権」させてくれそうな勢いがそこにあったことも事実である。


(The Libertines/DON'T LOOK BACK INTO THE SUN)

しかし、一方でこのムーヴメントは、当然のことながら〈「ゼロ年代」特有の現象〉とするには弱いものであった。どの時代にも「原点回帰的」なバンドはいたし、おそらくこれから先も沢山生まれてくるはずである。
では、何故、この「ゼロ年代」に限って「リバイバル・ブーム」なるものが成立しえたのか。簡単な話である。ハッキリ言ってしまえば〈まったく新しい表現方法〉不在からの(あくまで無意識の)逃走、つまり「サキノバシ」として、このブームはあったのである。
そして、その「サキノバシ」は、ファンのなかに一種の「フィクション」を植えつけることでシーンにコミットし、定着していく。
週刊コミックバンチで連載中の浅田有皆『ウッドストック』。このバンド漫画の中で、次のようなシーンがある。
引っ込み思案の主人公「成瀬楽」が、バンドをやっていたという「町田要」のマンションに、親交を深めるため訪れる。町田の部屋には1969年にニューヨークで開かれた実在するロック・フェスティバル「ウッドストック・フェス」のDVDを始め、80年代の日本のバンドのCDやグッズが置かれており、楽は目を輝かせて喜び、二人は一気にその距離を縮めていく。そんななか、壁に貼られたリバティーンズのポスターについて訊かれた町田は「俺にとっちゃ今のセックスピストルズ」と断言してみせる。
この台詞一つとっても、町田が(自分達が体験し得なかった)古い時代のロックに憧れており、その想像を補完してくれるもの、つまり〈疑似体験させてくれるもの=フィクション〉としてリバティーンズを聴いていることがよくわかる。そしてこの後、楽と町田が一緒に組むことになるバンド「チャーリー」もまた、ブリットポップ的でありつつ、パンクの初期衝動を炸裂させたような曲を演奏するバンドとして描かれていく。
つまり、この作品において主人公を始めとする主要な登場人物達は、皆、「フィクション期待型(=受容型)」としてのリスナー像を経由し、自らもまた「原点回帰」していくのである。それ(=ロック・リバイバル)はこの作品中において〈本来的なロックの精神〉に底支えされたものとして肯定的に、なおかつダイナミックに描かれている。これは現在の「リバイバル・ブーム」に対する世間の「雰囲気」を見事に表していると言っていい。
だが、繰り返しになるが、その「雰囲気」の根本には年代論的なタームとしての〈「まったく新しい表現方法」の不在〉があることを我々は見逃すわけにはいかないのである。

「サキノバシ」と「フィクション」は、世界規模であれ日本限定であれ「ゼロ年代」を語る上で避けては通れない、避けてはいけない「問題」である。そんな中、この「問題」を一点突破するような、ある曲が日本で誕生した。それが「フジファブリック」の『銀河』である。



フジファブリック登場!!!

インディーズ時代に『アラカルト』『アラモード』といったハイクオリティな作品を世に送り出し、既に一部のコアなファンの間で人気を博していたフジファブリックが正式にメジャー・デビューを果たしたのは04年11月。アルバム『フジファブリック』を引っさげて、彼らは当時のメーン・シーンに殴りこんだ。
だが、その頃のフジファブリックは、どちらかというと「怪しさ」と「郷愁」*1を前面に押し出した「理解可能」なバンドだった。もちろん、一種独特の「雰囲気」は持っていたし、だからこそ彼らは「売れ」たわけだが、それは「見た目にそぐわずサイケデリック」とか、「若いのにジャズもやれる」とか、そういったレベルの評価に回収されるようなものだった。また、キーボードを前面に押し出した彼らの「賑やかさ」もウケたようだ。


(花屋の娘/フジファブリック)


そんな、言ってしまえば〈時代の一部〉に過ぎなかったフジファブリックが、その音楽性(そして世間的な評価)を大胆に更新するべく完成させたのが、『フジファブリック』発売からたった3ヶ月後の05年2月にリリースされたシングル『銀河』である。

D


サイケデリックなイントロに始まり、ダンサブルなサビ、中盤の転調部ではそこに更に郷愁を感じさせるメロディをも盛り込み、ブルースの音色も聴かせてくれるなど、あらゆるジャンルが混濁したその楽曲の妙は、これまでのフジファブリックのイメージを〈時代の一部=従者〉から〈時代の象徴=牽引者〉へと更新するオリジナリティに溢れていた。
歌詞世界も異様だ。そこには明確なサイケ感はない(何かが起きようとしているイメージ=文脈は存在する)が、「進展」も全くない。「青春」の疾走感があるものの「メッセージ」は一切読み取れない。サビのインパクトに誤魔化される形で万事うやむやに進んでいくのだ。一方で、それまであくまで「従者」に過ぎなかった彼らに「ナンバガ的」な「物語」は殆ど内包されず、「ゴマカシ」すらそこにはない。
つまり、この歌詞は〈あるんだかないんだかわからないもの=真の無意味性〉によって支えられているのである。
これが一体、何を意味するのか。私は次のように考える。
いわゆる〈「ジャンル」と「ゴマカシ」の時代〉であった80年代〜90年代は、まだまだ「内容」としてのリアリティが求められていた(し、それだけの余裕がシーンに存在した)。だが、〈「フジファブリック的」な時代〉としての「ゼロ年代」においては、もはや「内容」などどうでもよく、代わりに〈質量=ただそこに存在し、他者と繋がれるもの〉としてのリアリティが前景化しているのである。*2
つまり特定のリスナーや思想に捉われた「ジャンル」など気にせず〈ただ音を鳴らし〉、自らの「物語」の所有権や啓蒙的な「欲望」を捨て去り〈ただ言葉を書き連ねる〉こと。それによって「他者」と〈繋がって〉いることを確認できればいいという「ライブ的」な発想。
そんな〈全く新しい〉が、一見「当たり前」でもある表現方法を、およそ初めて前景化しえたのが「フジファブリック」というバンドであり『銀河』という曲なのである。


事実、この曲によって、彼らはそれまで以上に幅広い層からの支持を得て、一躍〈時代の寵児〉となった。
だが、そんな彼らも、「この時代」における、あるアナロジーによって、その「オリジナリティ」を剥奪されてしまう。そのアナロジーこそが前述した「変態ブーム」であった。


「変態」なのか「オリジナリティ」なのか

「変態ブーム」という言葉は、正確には存在しない。
これは、あくまで私の「この時代」に対する一つのイメージの表象として言語化されたものに過ぎない。
だが、それでも確かに「変態ブーム」は存在する。
ここでの「変態」とは、いわゆる「ゆらゆら帝国的」なサイケ感や、INU、ザ・スターリン以降のパンク感、ナンバーガール的な「物語」を内包している音楽を、十把一絡げにしてしまう便利な言葉として、主に現在の高校生〜20代の間で愛用されているワードである。最近では、〈少し変わったポップ・ミュージック〉に過ぎないと思われるような音楽でさえ「変態」として語られている。
また歌詞に関しては、フジファブリック的な〈あるんだかないんだかわからない〉感覚を与えてくれるものが「変態」であるらしい。
これらのことはつまり『銀河』が変態ブーム・フォロワーの間では「変態」というワードのもとに回収されてしまうことを示している。
これは非常に重要な問題である。何故なら、もはや、ゆら帝ナンバガの存在によって底支えされているような「ジャンル」としての「変態」*3が成立してしまっている現代において、『銀河』は80年代〜90年代的なものに回帰せざるをえないうえ、その〈真の無意味性=質量のリアリティ〉すら〈有意味性=内容(ジャンル)のリアリティ〉へと書き換えられて受容されてしまうからだ。
つまり『銀河』は、「背景的リアリティ」と「作品的リアリティ」を一挙に失ってしまうのだ。

もちろん、この言説は、見方によっては言語的なレトリックによって仕立てられたものとして映るかもしれない。〈類型化されようがどうしようが『銀河』という曲の素晴らしさは変わらないし、それでいいじゃないか〉と思われる方もいるだろう。
だが、前編の冒頭部分で書いたとおり、私は「フジファブリック」というバンドがこの「時代」に対して何を為したのか、また、為そうとしたのかについて書こうと思っている。だからこそ「新時代的」であり、次の十年への橋渡し的な役割を持っていたはずのこのバンドと曲が、心無いリスナー*4のナンセンスな「ジャンル・メーキング」によって「前時代的」なものに設定されてしまったことを、私は本当に残念に思うのだ。


「変態」なのか「オリジナリティ」なのか。
この問題をしっかり見極め、シーン全体で突破していくこと――私はそこに、この〈何も残せなかった〉「ゼロ年代」を有意義に乗り越えるための鍵があると信じている。


                                                                                                              • -

*1:前者は「ナンバガ的」、後者は「くるり的」と例えることが出来るだろう。このことはつまり、日本の「ゼロ年代」におけるある種のロック観が「98年組」によって一度完結してしまったことを示している風にも思える。

*2:この部分については社会学北田暁大氏の提示した「繋がりの社会性」という概念からヒントを得ている。ケータイ的ツールを始めとする近年の「コミュニケーション文化」は、その「内容」以上に「繋がり」を感じるための「文化」として存在する、というのが氏の考え方である。

*3:もちろん「変態」という「ジャンル」と従来の「ジャンル」の間には、それが自生成(自身が認識し、成立するもの)か他生成(他者によって承認され、保証されるもの)か、といった違いがある。だが、ここで私が言いたいのは、何にせよ『銀河』という曲の「無意味性」は失われてしまうという、そのことなのである。

*4:「フジファブリック」の『銀河』を「変態」と呼ぶ者全てが、即時ここでいう「心ないリスナー」となるわけではない。元来「変態」という言葉は対象(=作品/バンド)個々に対して与えられる「感想」に過ぎなかったはずであり、音楽を聴いて「感想」を述べる、という権利は誰にだって保障されている、当然の行為だからである。そして、そういった「感想」の前において、『銀河』はその「本質的」な「無意味性」を保ちえるだろう。何故なら「感想」は「受け手」の消化の仕方の自由、という文脈のうちにあるものであり「誰々がこう聴いたから、この曲の本質はこう変化する」というものではないのだから。
ここでの「心ない」とは、言い換えれば「無遠慮な/無用心な」とでもいえそうなものである。『銀河』のオリジナリティを無視し、「変態」というワードを担保として(=ジャンル化して)この曲を(そしてフジファブリック自体をも)聴き、捉えているファンのことを指しているのだ。



フジファブリック

フジファブリック

FAB FOX

FAB FOX

                                                                                                              • -

アウトロ

2010年1月1日 午前9時10分。
この文章を書いている時間である。
当初は「09年中に、必ず完成させる!」と思って書き出したのだが、この時期にフジファブリックについての文章を書く、ということは、意外と大きなプレッシャーを伴う作業であり、また、この文章が一見出来の悪い「批評文」風であることによって、「志村正彦」という存在に対する「愛情」の欠如をファンの方に疑われやしないかという不安もあった。
だが、むしろ彼に対する「愛情」があったからこそ、私はこの文章を書いたし、こうして自分のブログ上にアップしているのだ。「フジファブリック」というバンドにおける志村の存在は、とてつもなく大きなものだった。ミニアルバム『アラモード』が出た頃、私は『花屋の娘』での彼の独特な歌唱法に惹かれ、フジファを追う様になった。それは作品を重ねるごとに洗練されていき、いまや、ヴォーカリストとしての彼の存在は〈日本のロック・シーン〉という大規模な世界においても、唯一無二のものであると思う。


この文章中で、私は志村が(そしてフジファブリックが)残せはしなかったが示そうとしたものについて、私なりの解釈で紐解いていった。面白いのは、彼らがその「無意味性」を「変態」という言葉で回収された後、『TEENAGER』『CHRONICLE』とアルバムを出すごとに、自ら進んで「内容」のほうへと突っ走っていったように見えたことだ。それは一部のファンから大きく批判されるきっかけでもあったが、いまとなってはアーティストとして一種の「けじめ」を表明しようとしていたのではないかと思えてならない。
彼らは、おそらく他のどんなバンドよりも現在の「シーン」や「時代」について自覚的である。だからこそあんなにも魅力的にいられるのだろう。


志村正彦亡きあと、だがメンバーは〈音楽活動を続けてい〉くと発表している。それは、とても勇気のいることだし、ファンにとっても不安なことであるに違いない。だが、彼らがそう決めている以上、それは絶対に「正しい」ことなのだ。私達は、いまはただ「フジファブリック」を、そして彼らが紡いでいく新たな10年間(=ディケイド)を、しっかりと見守っていくべきだろう。


最後に、マイ・ロック・スター志村正彦の冥福を祈って……

ですますでした。