音楽CDレビュー

jupiter jupiter

jupiter jupiter

「サイエンスロック」を旗印に掲げつつ、その音楽性を一気に立体的に拡張してみせた意欲作『jupiter jupiter』。
「立体的」とは、これまでの彼らの作品に存在した「(宇宙的な)広がり」に、まるで古典小説のような「歴史観=深み」がプラスされている、ということである。その「歴史観」は無機質なエフェクト・ミュージックのなかに、確かに「人間」が存在していることを教えてくれる。

「大河SFロック」がここに産声をあげた。
果たしてこの世界観はどこまで膨張し、また日本のロックシーンをどう呑み込んでいくのか。avengers in sci-fiが現在、もっとも注目すべきバンドの一つであることは間違いない。

野口、久津川で爆死

野口、久津川で爆死

このバンドを評価する際に、絶対に忘れてはいけないのは、彼らが「至ってマトモなポップス・バンドである」ということだ。
変拍子を多用しようが、青春パンク的な雄たけびに染まっていようが、歌詞がバカらしかろうが、寸劇的なおちゃらけが曲中に挿し込まれようが、それら自体が「目的」なのではないということ。むしろ、それらによって相対的に(時には同化的に)際立つポップスのセンスの発現こそが、モーモールルギャバンの「目的」なのだということ。

そうじゃなければ、あの堅固に自己主張してくるベースサウンドと、鼓膜にまとわりつくような変拍子や、ズレたところでまとまっているコーラスワークが、あそこまで上手く調和するはずがない。
ここには緻密かつ絶対的な音楽性が存在している。

そのことを見落としてしまったリスナーの目には、彼らの存在はとんでもなくつまらなく映ってしまうはずである。

空間現代

空間現代

〈ポストパンクの狂騒に引導を渡し、マスロックの怠惰に喝を入れる、ゼロ年代の終わりとテン年代の始まりを高らかに告げつつ不気味に嗤う、邪気と頓知に満ちたラストパンク、メタマスロック。聴け!、笑え!、そして考え込め!〉
音楽批評家、佐々木敦のこんな煽り文を帯に載せ、日本のロック・シーンに殴り込みをかける空間現代のデビューアルバム『空間現代』。

このCDを聴きつつ、佐々木敦のいう「メタ」という言葉の意味について考えてみる。

注目すべきは、ひたすら自己統制に徹して、ひたすら「幾何学的」な「鮮やかさ」を表象し続けるマスロック・シーンにおいて、(もちろん、その不自由さこそがマスロックと呼ばれるジャンルの「美徳」なので、文句はないのだが)、彼らは似たような音楽を実践しているにも関わらず、そこに「エモっぽさ」や、プログレっぽい「変態さ」を内包させていることだろう。
あるいは、マスロックらしく、同じメロディとビートが反復され続けるなかで、彼らの場合、明らかに「のろまって」いると我々に錯覚させる不思議を持ち合わせていることも見逃せない。(マスロックの反復はまるで打ち込み音楽のように一定の速さで展開されていくものであって、彼らもまた、データ上では間違いなく一定であるはずなのに、だ。)

これらの事実は、空間現代がマスロック・バンドとして少なからず〈未成熟、あるいは異種〉である、ということを示している。

そして、僕は、こういう部分こそが佐々木のいう「メタ」であることに繋がっているのではないかと考える。「マスロックっぽくマスロック」をすることが何故か生み出した、ドゥルーズ的な「差異」――同じ方法論を実践している(マスロックというジャンルをしっかり倣っている)にも関わらず、違っているということ――その面白みを、佐々木はクリシェ化した言葉としてではなく、積極的な意義をもった言葉としての「メタ」で指し示したのではないか。

では、果たして彼らが生み出した「差異」は、「未成熟」の結果なのか、それとも「異種」である証明なのか。つまり、彼らは本物の「革命者」であるのか否か。それは、次作を待って判断することにしたい。

ちなみに、個人的にはメチャクチャ好み(特にM-1、M-2、M-7が素晴らしい)。
オススメの一枚です。