「萌え」や「MySpace」「初音ミク」……「スター不在」型メディアと、それが生みだす欲望について、単なる現状分析(twitterほぼ丸写し)

・他者を介して欲望を発見し、他者を「見る=なりきる」ことで欲望を満たす「スター崇拝」タイプの欲望が萎んでいく一方で新たなタイプの欲望が見受けられるようになった。


・現在のメディアのありかたは、スター(他者a)など必要とせずとも自己に欲望を投影させれば事足りると消費者に思わせる「自己完結型メディア」である。


・例えば「日常系」「空気系」と呼ばれるアニメ。これらのアニメを観る際、視聴者は主人公の男を介さずともヒロインを消費出来ている。あるいは主要な男性キャラの存在しないアニメにすら「ヒロイン」が存在している(らき☆すたけいおん!ひだまりスケッチ……etc)。
→この事実は、いまや消費者と「ヒロイン」の間に「決められた物語」が不必要になったことを示している。
→「恋する」ことは、自ずから「物語」を含むものだが、ここで消費者は代わりに「萌える」という概念を採用した。
→「○○萌え」と発言することは○○への恋愛感情を主張することではない。〈自分は○○に萌える人間です〉という自己主張だ。あるいは「俺の嫁」とは、〈「俺」の「嫁」〉と分けて書かれたものではなく、あくまで「俺の嫁」という一つの自己主張である。
→つまり、外部(アニメ内)にスター=ヒーローを置かないヒロイン消費。自己主張としてのヒロイン消費がここでは行われている。


・「スターなき欲望」を音楽のフェーズで考えれば、初音ミクMySpace文化あたりが挙げられる。これらの文化は「一人のスター」ではなく「大勢のネ申」を生み出す機能を持つ。スターを「観る」ことでしか音楽への欲望を満たせなかったのが、気軽に自分で音楽を作り「発表」できる。
→彼らのうちのほとんどは「スター」ではなく「ネ申」にしかなれない。あるいは「ネ申」にすらなれない。だが、とにかくある種の「自己主張」を行うツールとして、これらの音楽系メディアは十分役に立つ。
→余談だが、その「自己主張」は、それら創作物をblogで紹介したがる人達の「自己主張」も二次的に生み出す。


・これまで、「スター」と呼ばれてきたアーティストやアイドルも、もちろん「自己主張」はしてきた。だが、それはネット上で行われる「ネ申」達の「自己主張」とは全く性質が異なる。
前者は「自己主張」によってプレゼンスを得て、売れた。
後者はあらかじめ用意されたプレゼンスを利用し、ウケるために「自己主張」を行う。

→例えばMySpaceに音源を投稿するアーティスト達。彼らは用意されたスペース上の、用意されたタグ(ジャンル)の範囲内で他者との差異を図ろうとする。
→かつて、アーティストが広くプレゼンスを得ることはとても難しかった。だからこそ「個性」が必要だった。
→いまや「個性」があってもなくても、とにかくそのスペースに参加さえすればプレゼンスを共有する権利は与えられる。そのなかでいかに分子数を奪うかが目下のところアーティスト達の命題となっている。


・この環境下において「まったく新しい」音楽性は非常に発生しにい。プレゼンスを得られるアーティストの少なかった時代でなら「まったく新しい」と呼ばれてもおかしくなかった「発想」が、広大なネット上では「よくある発想」として歯牙にもかけられない、なんてことはよくあることだ。
あるいは「まったく新しい」音楽性が、次の瞬間にはベタと化してしまうくらいの拡散性がネットにはある。その「拡散」は、ディケイド単位で眺めれば大変化と呼べそうなものであっても、MySpace上のアーティスト達には、ごく自然な「流れの一部」として片付けられてしまう。
→つまり、一昔前のスター達がやったような「自己主張」では、もはやネット上を沸かすことは出来ない。ほんの一瞬なら可能でも、決して持続しない。
→件のリバイバル・ムーブメントのように「〈個性〉こそないが〈需要〉ならある」音楽性のなかで他者と差をつける、新しい形の「自己主張」を目指すことになる。

初音ミク・ユーザーなんかはその良い例で、初音ミクを使ってる時点で「〈個性〉こそないが〈需要〉ならあり」、プレゼンス(ニコニコ動画)も得ている、そういうアーティスト達が、より他者よりウケようと、歌詞やら曲調やらを工夫(=自己主張)している。


・最初にも書いた通り、こういったスターを必要としない、自己に欲望を投影するタイプのメディアがもたらす「自己主張」は、それ自体、当然ながら「自己完結型」なものだ。
→ただ、この「自己主張」が「報われる」(欲望を満足させる)ためには、競争相手(他者b)が必要となる。
→良く言えば「切磋琢磨」、意地悪な言い方をすれば「玉石混交、天才凡才入り混じっての〈俺のほうがすごいでしょ?〉合戦」。
→それを見た人がまた軽いノリで参戦してくる/できてしまう。結果、玉石混合の争いは、更に加熱する。



(まとめ)
気軽ではあるが、いままでとは違った「困難」を伴った「自己主張」を欲望させる……そんな性質をもったメディアが、現在、日本のある種のカルチャーを支配している。それは間違いないことだと思う。


また、ちょくちょく加筆修正していきます。ご意見等募集。
これを基に何か書けたらいいなぁ。