たまには「日記」風に、昨日のことをつらつらつららん

1/20(水)


朝から全力で自慰k(ry
自分はやっぱり女性の尻が好きだなぁと思う。



午前11時頃、今年一番の陽気に誘われてジョギングへ。
ウォークマンからは筋肉少女帯や有頂天、ウィラード、ザ・スターリンなど、80年代のパンクが流れてくる。The Swankysのことが結構ガチで好きな自分に気付く。






40分ほど走って贔屓にしている書店へ向かう。
僕は今度、慶応大で研究員をされている西田亮介氏の主宰する、とあるWEB媒体に参画させてもらうことになったんですが、その西田氏が『中央公論』に寄稿しているエッセイ調の文章「ある若手研究者の悩み多き日常」を今更ながら読む。

科学・学問研究とは本来、様々な失敗や発見を積み重ねることで一つの「成果」を挙げる「多産多死」なものであり、民主党事業仕分けの場で彼らに要求したような「経済合理性」は、そういう意味で学問の世界とは相容れない、という主張。

また、彼は、実際に現場が、そういった「経済合理性」を突き詰めてしまうようになれば、有能な若手研究者は身を上げるような大きな仕事が出来なくなり、とりあえず「小さな実績」をあげ続けることでしか生き残れなくなってしまうと書いている。
そのうえで出来うる限り現状を「希望」のもとで捉えていくために、自分は活動を行っていく、とも。

この「ある若手研究者の悩み多き日常」の見所は、事業仕分けの意義を考えつつも、そこに固執せず、「ならば僕は行動するまでだ」という意思を表明している部分にある。
彼がツイッター上で、たびたびあの文章を「絶望」ではなく「希望」の文章だと言うのは、そういった意味合いのうえでのことではないだろうか。

その活動の一つが、今回僕も関わらせていただくこととなった媒体なのですが、西田氏のこの文章を読み、個人的にモチベーションがあがりまくったことは言うまでもありません。

僕が媒体に書くのは「音楽論」×2と「お笑い論」。どれもポップ・カルチャー論なので、決して堅い論考にはならないだろうと予感しているのですが、そのぶん、しっかりと熱量を持って書きあげようと決心。



決心したものの、帰宅後まっさきにネットゲームをやり始める。アカンがな。
やっていたのは「カウンターストライクオンライン」というWAR系ゲーム。
久しぶりにプレイしたら、全くもってダメダメ。(ちなみにゾンビモードという、ゾンビを相手に戦うモードがお気に入り)
午後3時くらいから始めて、気付けば5時になっていた。びっくりした。
もしこのブログを読んでらっしゃる方の中にプレイしている方がいれば、名前を教えてくださいwww



午後6時、ツイッター上でフォローさせていただいているあるお二方が、石原千秋の「解説―作品論のために―」という論文を基に「テクスト論(作者の権威や思想を読解の枠から追い出して、文章それ自体を読む、という論じ方)=作品論2.0」説を完成させていく過程を面白く読む。

「2.0」とは、当人達の解釈を引用すれば〈中央集権的なものからユビキタス的なものへ、という変化を伴う場合に使われる〉概念である。
つまり、〈一部の知識人だけでなく、誰もが対象に対して自由な触れ方、解釈の仕方を出来るようになった〉現在のネットワーク環境や出版環境、思想環境に起因する概念だということだ。

ということは、僕が以前、ここで書いたフジファブリックの『銀河』に対する考察も、そういう意味で「作品論2.0」であり、あるいは「作家論2.0」であるということが出来るだろう。



午後7時前、晩飯を喰らう。
メニューはタジン鍋と豚肉&コンニャクの生姜煮。
あんまり美味しいもんでパクパクたいらげる。酒はカロリー・オフの発泡酒一本と自家製ハイボール二杯半。なんだろう、最近酔いやすくなった気がする。この量でも結構良い気分になれた。



午後九時、読もう読もうと思っていた小田 雅久仁の『増大派に告ぐ』をようやく読み始める。午後11時前に読了。感想は数日中にでも書くが、とにかく傑作。心地よくトリッキー。


増大派に告ぐ

増大派に告ぐ


それにしても、こういう危険な作品に授賞しちゃう日本ファンタジーノベル大賞が、僕はやっぱり大好きです。佐藤亜紀森見登美彦もこの賞出身だし。




その後、このブログに前回の記事を書く。
参画していただける方、募集中! よろしくです!




深夜1時過ぎ、最近気に入っている白くまの抱き枕を抱いて寝る。
心なしか臭くなってきた気がするのだが、これは、洗濯して良いものなのだろうか。



就寝BGMは『閃光ライオット2009』というV.A〜ひだまりラジオのラジオCDでしたとさ。




……こんな感じでいいのかな?ww
「日記」っぽくなりましたかね?www



ま、いいや!
ではでは、ですますですた。